姫路城、彦根城、犬山城とともに4つの国宝のお城のひとつでもある松本城。現存する五重六階天守の中では日本最古の国宝の城です。黒と白のコントラストが美しく、国内外から訪れる人々を魅了しています。最上階からは、北アルプスの山々や松本市街を見渡すこともできます。
住所 |
長野県松本市丸の内4番1号 |
TEL |
0263-32-2902(松本城管理事務所) |
アクセス |
長野自動車道 松本ICから
国道158号を松本市街地へ向かい約3km |
松本城について
- 松本城の歴史
- 1504年、信濃の守護小笠原長棟によって築城された松本城。当時は深志城とも呼ばれていました。天守を築造したのは、徳川家康と豊臣秀吉の両方に仕えた武将石川数正です。現在の松本城が完成したのは数正の息子である康長の代だといわれています。1593年から3年間かけて、天守、乾小天守(いぬいこてんしゅ)、渡櫓(わたりやぐら)、本丸御殿、二の丸御殿が建てられました。
- 松本城はなぜ黒いの?
- 石川数正は豊臣秀吉にとって、非常に信頼のおける武将でした。秀吉の大阪城は黒で統一されていたため、松本城が黒いのは、秀吉への忠誠のしるしだといわれています。晴れた日には、白と黒のコントラストがひときわ美しく見えます。
天守の北に位置する乾小天守は、天守と構造が異なり、丸太が使われています。
天守内には全部で7カ所の階段があります。上に行くにつれてどんどん急に。4階の階段の勾配はなんと61度!
鉄砲(火縄銃)や甲冑が展示されています。松本城の天守が作られたのは、火縄銃が日本に伝わってから既に50年が経ったころ。そのため、お城の壁は火縄銃の攻防を想定して、厚い塗りごめ(柱や軒などの木部の外壁まで土壁で覆う工法)になっているのです。
昭和の修理の際に新しいものと取り換えられた鯱。
上から見た本丸の様子。
黒門の奥の一の門(櫓門)。昭和35年(1960)に復興されました。
旧開智学校
- 明治9年(1876年)に竣工し、昭和38年(1963年)までの約90年間使用された、日本最古の擬洋風小学校建築です。各窓に舶来のギヤマン(ガラス)が取り付けられており、和風と洋風の雰囲気が入り混じっています。昭和36年には、国の重要文化財に指定されています。
- 住所:長野県松本市開智2-4-12
TEL:0263-32-5725
アクセス:長野道松本ICから車で15分/松本城から北へ徒歩約10分
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