諏訪高島城へきました。かつて諏訪湖の水が城際まで迫り壕の役割を果たしたことから難攻不落を誇り、別名を「諏訪の浮城」と呼ばれていたお城です。現在、高島城公園として整備されています。今回もガイドさんに案内をお願いしました。冠木門を渡って中へ入ります。
冠木橋を渡ったところに復元された冠木門があります。冠木門とは、左右の柱の上部に一本の貫を通しただけの簡単な門のことをいいますが、高島城を描いた絵図からは、楼門あるいは高麗門と呼ばれる屋根付きの門であったことがわかるそうです。当初は冠木門だったものが後に楼門に建て替えられ名称のみ残されたものだと考えらえています。
この亀石は、元々城内の庭園にあったが廃藩の時に城外に移され、以後所有が引き継がれ安置されていた。平成十九年、百三十二年ぶりに高島城公園に戻った由緒ある石です。水をかけると、まるで亀が生きているようになり願いがかなうといわれています。せっかくなので私も水をかけてきました(^^)
高島城公園の中央に庭園があります。ここは、かつて本丸御殿の建物が立ち並んでいたそうです。庭園の一角にあった能舞台は現在市内の温泉寺の本堂として移築されています。
ここは、かつて川渡門があった場所で、城が湖に面していたころは、ここで湖の舟に乗ることができました。現在、三之丸御殿裏門が移築され建てられています。
諏訪護国神社は、諏訪出身の戦没者を祀っています。また、家内安全・商売繁盛も祈願していてここにも、諏訪といえば!の御柱が立っていました。
外からも見えていた角櫓跡です。現在、復元され内部は茶室となっています。復元されているもの以外にも色々な跡の碑が立てられていました。
三重の天守閣です(^v^)明治の廃藩置県により撤去されましたが、現在復興されたものが建てられています。中は1階・2階が資料館、3階が展望台になっています。
1階は諏訪に関する資料や観光情報を展示しています。これは、代々の高島城主である諏訪氏の家紋の梶の葉です。諏訪大社の神紋も梶の葉で、足の数で上社と下社を区別しています。
明治4年撤去する前の旧天守を撮影した写真が展示されています。この写真を元に昭和45年に鉄筋コンクリートで復興されました。
旧藩主の子孫諏訪忠元から八釼神社に奉納されていた御枕屏風の複製です。この資料からは江戸時代前期の諏訪の様子をうかがえう事ができ、大変貴重な資料となっています。
高島城や諏訪大社などもとても細かく描かれていて、高島城は諏訪湖に突き出すような形で建っているのがわかります。
最上階の3階は展望室となっていて、天気がよけれがきれいに富士山を見る事ができます。この日はあいにくのくもり空でしたがシルエットを確認することができました(^^)
また、室内に幕末の高島城を復元した模型も展示されていて、城の敷地がどのようになっていたかわかりやすいものになっています。