特集・牧野富太郎|高知ツアー・高知旅行のビーウェーブ

日本植物学の父・牧野富太郎

牧野富太郎ってどんな人?

牧野富太郎

1862年4月24日~1957年1月18日(享年94歳)
「日本の植物学の父」といわれる牧野富太郎博士は 日本が世界に誇る高知県出身の植物分類学の第一人者です。 自らを「草木の精」と呼び、一生を植物分類学の研究に捧げ、1,500種を超える植物を命名しました。また、日本全国で採集調査を行い生涯を通じて40万枚以上の植物標本を作製、45,000冊にのぼる蔵書を後世に残しています。
植物に関する教育活動にも全国規模で尽力し、地元の植物研究家、愛好家などの育成に努めました。研究の集大成ともいえる『牧野日本植物図鑑』は、78歳の時に刊行され専門家から一般の方々まで広く支持されています。因みに、牧野富太郎博士が生まれた4月24日は「植物学の日」に制定されています。

略年譜

1862
(文久2) 年
4月24日
高知県高岡郡佐川町で酒造・岸屋を営む裕福な商家の一人息子として生誕。幼名は成太郎。
1868
(慶応4) 年
父、母、祖父が相次いで他界。祖母、浪子に育てられる。この頃に、富太郎と改名。
1876
(明治9)年
10歳から土居謙護の教える寺子屋へ通い、11歳になると義校である名教館(めいこうかん)に入り儒学者伊藤蘭林に学ぶが、学制改革で佐川小学校となり2年で中退、好きな植物採集中心の生活に。
1884
(明治17)年
東京大学理学部植物学教室のの矢田部良吉教授を訪ね、 研究室への出入りを許され研究に没頭する。
東アジア植物研究の第一人者であったロシア帝国のカール・ヨハン・マキシモヴィッチに標本と図を送り図を絶賛する返事が届く。
1887
(明治20)年
同教室の大久保三郎や田中延次郎・染谷徳五郎らと「植物学雑誌」の創刊に携わる。
1888
(明治21)年
壽衛(すえ) と東京根岸に所帯を持つ。この頃、石版印刷技術を習得し、当時の日本には存在しなかった植物図鑑の先駆け的な植物誌「日本植物志図篇」の刊行を始めマキシモヴィッチからも高く評価される。
1889
(明治22)年
大久保三郎と日本で初めて新種ヤマトグサに学名を付ける。 横倉山でコオロギランを発見。
1890
(明治23)年
標本採集中に、偶然見慣れない水草を採集。これが世界的に点々と隔離分布するムジナモの日本での新発見で、そのことを自ら正式な学術論文で世界に報告したことでにより世界的に名を知られるようになる。
矢田部教授・松村任三教授らにより植物学教室の出入りを禁じられ、研究の道を断たれ、『日本植物志図篇』の刊行も六巻で中断。
1893
(明治26)年
東京帝国大学理科大学で助手となる(1939年(77歳)まで助手・講師として勤める)
1900
(明治33)年
未完に終わった『日本植物志図篇』の代わりに新しく『大日本植物志』を刊行。自費ではなく東京帝国大学から費用が捻出され、大手書店・出版社だった丸善から刊行。
1927
(昭和2)年
65歳で東京帝国大学から理学博士を受ける。
新種の笹に、翌年死去する妻の名から「スエコザサ」と名付ける。
1953
(昭和28)年
東京都名誉都民となる。
1956
(昭和31)年
佐川町名誉町民となる。
1957
(昭和32)年
1月18日
94歳で永眠。 東京都谷中の天王寺墓地に埋葬。
没後、文化勲章を授与される。

牧野富太郎と植物たち

牧野富太郎スエコザサ命名秘話

スエコザサ命名秘話

1927(昭和2)年に富太郎は仙台で新種のササを発見します。
富太郎は学問に私情が入るのを好みませんでしたが、研究を支え理解し献身的に応援してきてくれた妻・壽衛(すえ)に感謝し、新種のササを「スエコザサ」と命名しました。スエコザサはその学名と共に 富太郎により「植物研究雑誌」で発表されましたが、発表の5日前に惜しくも壽衛は病のため永眠します。
のちに富太郎は「世の中のあらむかぎりやすゑ子笹」と彼女の墓標に刻み、スエコザサを東京の自宅の庭に植えて生涯大切にしたそうです。

富太郎ゆかりの植物たち

  • バイカオウレン

    バイカオウレン

  • 仙台屋

    仙台屋

  • キシツツジ

    キシツツジ

  • ノジギク

    ノジギク

エピソード

ヤマトグサ

ヤマトグサ(日本人による国内初の学名発表)

ヤマトグサは国内において初めて日本人によって学名が発表された植物です。1889 (明治22)年、富太郎が27歳の時、彼は仁淀川町名野川で採集した標本をもとに、東京大学の大久保三郎と共に「植物学雑誌」に学名「Theligonum japonicum,(和名:ヤマトグサ)」を発表しました。これは、日本の植物分類学の歴史において記念すべき出来事でした。富太郎はヤマトグサの記載論文において、「極めて珍奇とすべき一新種」と書き記しています。

ノジギク

ノジギク

ノジギクは1884 (明治17)年、富太郎が22歳の時に、現在の仁淀川町に発見され、野路に生えていたことからこの和名をつけました。のちに本州の瀬戸内海沿岸・四国 (南東岸以外)・ 九州の東海岸の主に海岸沿いに多く自生することが判明しました。高知県内では、南国市を流れる物部川より東には分布しておらず、住み分けるようにしてシオギクが分布しています。 (開花時期:11月~ 1月)

仙台屋

仙台屋

高知市中須賀の商家「仙台屋」の庭にあった桜の品種です。葉が赤く、花弁は縁が濃い淡紅紫色で大変美しく、富太郎が大変気に入っていたことでよく知られています。東京都練馬区にあった彼の終の棲家となった自宅の庭にも植えていました。牧野植物園には樹齢60年ほどの名木があり、3月下旬~4月上旬の見ごろの時期にはライトアップされた幻想的な姿を見ることができます。

モデルコース

  • 生誕の地佐川町と高知中央部1泊2日
  • 西部の越智(トレッキング編)
  • 東部の安芸・室戸で植物三昧