~浅井・朝倉連合軍とついに決着!~
旅行代金(大人おひとり様)各回につき | 14,800円 | |
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催行日 | 2016年 3/9(水) | |
コースコード | HS-0001-06 |
反信長勢力による信長包囲網に苦しんでいた信長だったが、再び浅井氏の北近江を攻め始めた。そこへ朝倉氏が小谷城の援軍に向かうが前鞘戦で敗退し、積雪前に越前に撤退させてしまった。そこに信長自ら軍を率いて朝倉氏を追撃。朝倉氏を滅ぼし、再び北近江に戻り浅井長政の籠城する小谷城を取り囲んだ。
強固な山城であったが長政は城内にて自害、ついに落城し三代続いた浅井家はここにて滅亡することとなった。この時、信長の妹であるお市とその子である三姉妹たちは保護された。(上図)
小谷城落城後、旧浅井領は戦功を上げた羽柴秀吉に与えられた。秀吉は琵琶湖畔に初めての城である長浜城を築き、北近江の拠点は長浜城へと移されたため小谷城はそのまま廃城となった。
日次 | スケジュール | 食事 |
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1日目 |
新大阪(8:00発)・京都(9:00発)
※その他の発地(名古屋・姫路・岡山・岐阜)も選べます。
長浜城歴史博物館
徳勝寺 拝観「浅井家ゆかりの寺宝」
昼食
小谷城跡・小谷城戦国歴史資料館
京都駅周辺(18:45)・大阪駅周辺(19:45頃着)
※その他の着地(名古屋・姫路・岡山・岐阜)も選べます。 |
朝食× 昼食〇 夕食:× |
秀吉の長浜城を復元した博物館
ナガハマレキシハクブツカン
浅井氏を滅ぼした信長は、浅井氏の旧領を羽柴秀吉に与えます。当時、今浜と呼ばれていた地を信長の名から一文字拝領し長浜に改名し秀吉はじめての城である長浜城を築いた。
廃城となった小谷城の資材等を流用し、琵琶湖岸に築かれた長浜城は琵琶湖の水運の重要拠点ともなっており城内からは船の出入りができるようになっていた。
江戸時代前期に廃城となり、現在は城跡に模擬天守が建てられていて内部は長浜や秀吉に関する資料などが展示された歴史博物館として公開されている。
小谷城から長浜城へ移された浅井氏の菩提寺
トクショウジ
曹洞宗の寺院でもともとは医王寺という名前で現在の湖北町に創建、小谷城築城に伴い山麓に移され浅井家の菩提寺とした。浅井氏が滅亡すると、羽柴秀吉は小谷城から長浜城に居城を移し寺号も浅井亮政の法号からとり「徳勝寺」と改号され長浜城内に移し寺領30石を与えて保護した。
浅井三代の木像や浅井長政夫婦像、秀吉が播磨の書写山円教寺から持ち帰ったとされる薬師如来像などの多くの寺宝が本堂に安置されており、境内には浅井三代の墓が並ぶ。
戦国大名浅井と小谷城をテーマとした資料館
オダニジョウレキシシリョウカン
日本五大山城のひとつとしてしられる小谷城の麓にあり、「戦国大名浅井氏と小谷城」をテーマとした資料館。
小谷城跡から出土した遺物や絵図などからは当時の小谷城での生活や詳細な構造わかり、浅井長政・市夫妻などゆかりの人物の肖像画などが展示では人物関係の様子が分かりやすく解説されている。小谷城訪問前に是非立ち寄って歴史を学んでからいくのがよい。また、資料館の裏手は浅井家家臣の屋敷跡となっている。
日本五大山城のひとつである浅井氏の本拠地
オダニジョウ
北近江を支配していた浅井氏が三代にわたって居城とした城で、日本五大山城の一つに数えられる。(五大山城:七尾城、小谷城、観音寺城、月山富田城、春日山城) 先駆的に取りいれられた石垣や土塁、曲輪などが遺構が良く残っており、当時の堅固さがうかがえる。
三代目の浅井長政の頃に、信長の妹であるお市を妻にし信長と同盟を結ぶが、かねてより強い同盟関係である越前の朝倉氏を信長が攻めたことから裏切り、信長に攻められ小谷城は落城した。
JR新大阪駅正面口(南口)
1F大型バス駐車場
7:40集合 8:00出発
JR京都駅八条口
アバンティ前
8:40集合 9:00出発
11日前まで | 無料 |
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10日~8日前 | 20% |
7日~2日前 | 30% |
出発日の前日 | 40% |
出発日の当日 | 50% |
出発後の解除 または無連絡不参加 | 100% |