~邪魔者には容赦ない制裁を下す!~
旅行代金(大人おひとり様)各回につき | 14,800円 | |
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催行日 | 2016年 1/20(月) | |
コースコード | HS-0001-05 |
志賀の陣で浅井・朝倉連合軍を支援し、武装化していた比叡山・延暦寺。古来より信仰された延暦寺は聖域となっており、宗教的・政治的、また軍事的にも重要な拠点となっていたが、逆らうと罰が当たると誰もが信じており、手を出す者などいなかった。
しかし、独自の宗教観を持っていた信長は、自らに刃向った延暦寺に制裁として容赦なく比叡山の全山焼き討ちを行った。(右図)門前町の坂本の町より延暦寺を取り囲み火を放ち、逃げる者は僧侶だけでなく老若男女関係なく捕えられ首をはねられたといわれている。
この焼き討ちで数多くの寺社や文化財が兵火にあい焼失。後に明智光秀や豊臣秀吉、徳川家康らが力を尽くし延暦寺と坂本の町は復興された。
日次 | スケジュール | 食事 |
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1日目 |
新大阪(8:00発)・京都(9:00発)
※その他の発地(名古屋・姫路・岡山・岐阜)も選べます。
三井寺
西教寺
昼食
日吉大社
延暦寺東塔 特別拝観「法華総持院 東塔」
京都駅周辺(17:45)・大阪駅周辺(18:45頃着)
※その他の着地(名古屋・姫路・岡山・岐阜)も選べます。 |
朝食× 昼食〇 夕食:× |
天台寺門宗の総本山
ミイデラ
正式名称は長等山園城寺といい、7世紀に大友氏の氏寺として創建され幅広い層のからの信仰を集め栄えた天台寺門宗の総本山の寺院。天台宗が二分されたことから延暦寺との対立が深まり延暦寺から焼き討ちにされることがたびたびあった。
延暦寺焼き討ちの際には、信長は延暦寺と対立していた三井寺を懐柔したうえに焼き討ちの実行に移している。
また上洛の際、信長は三井寺極楽院に入り陣をひき、翌日には足利義昭も三井寺光浄院に入っていることが「信長公記」に残されている。
焼き討ち後、復興に貢献した明智一族の供養塔がたつ
サイキョウジ
天台宗の一派である天台真盛宗の総本山で、全国に末寺を400ヶ寺以上もち聖徳太子創建と伝わる寺院。
信長による焼き討ちで西教寺も焼失するが、坂本の地を与えられた明智光秀が復興に深く関わっており総門や庫裏が寄進されている。この寄進された総門は坂本城の城門を移築されたものといわれており、境内には明智光秀と一族の供養塔がたつ。
また伏見城の遺構を移した客殿や狩野派による襖絵、それぞれ趣の異なる4つの庭園など見どころが多くある。
古事記にも記載のある古社
ヒヨシタイシャ
比叡山の麓に鎮座する山王総本宮日吉大社は、古事記にも記載のある古社。天台宗の開祖・最澄が天台宗の守護神としたことから神仏習合によって天台宗と強く結ばれながら大きな影響力をもつようになる。
坂本の町より火が放たれたといわれている延暦寺焼き討ちの際に、日吉大社も兵火を受け焼失している。信長の死後、厚く信仰していた豊臣秀吉や徳川家康などが復興に力を尽くしており現在の建造物は安土桃山時代以降に再建されたものである。
信長の焼き討ちにあう
エンリャクジトウドウ
比叡山全域を境内とし、平安時代初期に最澄によって開かれた日本天台宗の総本山寺院。強い権力をもち武装化するなど独立国状態だったが、1570年の志賀の陣で、浅井・朝倉連合軍を支援し匿ったとして翌年に信長による焼き討ちにあい諸堂は焼失する。
東塔は、国宝にも指定されている根本中堂(総本堂)を中心とした区域であり、最澄が天台宗を開いた場所で延暦寺発祥の地である。現在の根本中堂は江戸幕府3代将軍・徳川家光により再建されたものである。
JR新大阪駅正面口(南口)
1F大型バス駐車場
7:40集合 8:00出発
JR京都駅八条口
アバンティ前
8:40集合 9:00出発
11日前まで | 無料 |
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10日~8日前 | 20% |
7日~2日前 | 30% |
出発日の前日 | 40% |
出発日の当日 | 50% |
出発後の解除 または無連絡不参加 | 100% |