~浅井・朝倉軍が隙を突き信長の背後を襲う!~
旅行代金(大人おひとり様)各回につき | 14,800円 | |
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催行日 | 2015年 12/9(水) | |
コースコード | HS-0001-04 |
失敗に終わった朝倉攻めから始まり、この頃信長は浅井・朝倉・三好三人衆・一向宗などの反信長勢力との抗争を繰り返していた。三好三人衆らの討伐のために摂津へ遠征している信長の隙をつき、浅井・朝倉連合軍は進軍。交通の要衝であった宇佐山城の城主・森可成は浅井・朝倉連合軍の進軍を防ぐために戦い命を落とした。(右図)
この知らせを受け、信長は摂津から急遽京都へ戻り浅井・朝倉連合軍との対決姿勢に入る。浅井・朝倉連合軍は以前より信長と対立していた延暦寺の支援を受け比叡山に立てこもり、信長は比叡山を包囲し両軍は対峙。
しかし状況は長引き、天皇の調停により和睦することになり戦いは終結。戦いの舞台となった地は明智光秀に与えられ、信長にとって課題となってきた延暦寺対策に力を尽くしたのであった。
日次 | スケジュール | 食事 |
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1日目 |
新大阪(8:00発)・京都(9:00発)
※その他の発地(名古屋・姫路・岡山・岐阜)も選べます。
宇佐山城
昼食
聖衆来迎寺 拝観「県指定名勝 客殿の庭園」
坂本城
京都駅周辺(17:30)・大阪駅周辺(18:30頃着)
※その他の着地(名古屋・姫路・岡山・岐阜)も選べます。 |
朝食× 昼食〇 夕食:× |
浅井・朝倉軍の攻撃から森可成が守り抜いた
ウサヤマジョウ
浅井・朝倉連合軍の南進に備えて信長が家臣である森可成に築かせた山城で、信長が安土城築城よりも以前に築いた石垣造りの城として貴重な城郭である。交通の要衝であり湖西より京へ行くには避けては通れない重要な場所に位置している。
信長が三好三人衆討伐のために摂津へ遠征している背後をつき、浅井・朝倉連合軍からの攻撃に宇佐山城はあうが森可成は命を落としながらも城を守った。
志賀の陣後は明智光秀が入城し、その後琵琶湖畔に坂本城を築いたため宇佐山城は廃城となった。
信長の焼き討ちから逃れた寺院
ショウジュライコウジ
創建は最澄といわれており、延暦寺の念仏道場として栄えてきた天台宗の寺院。
信長による延暦寺焼き討ちの際、比叡山の諸堂や坂本の町も焼き尽くされたにも関わらず聖衆来迎寺は志賀の陣で命を落とした信長の家臣・森可成の墓があったため兵火を逃れた。そのため、国宝・重要文化財など数多くの貴重な文化財が現代まで残されている。
また寺門は、後にこの地を与えられた明智光秀の築いた城である坂本城の門を移築したものと伝えられている。
琵琶湖に面した明智光秀の水城
サカモトジョウ
信長の命により比叡山・延暦寺の監視として、また京都に通じる交通の重要拠点として明智光秀が坂本の地に築いた坂本城は琵琶湖に面し城内に琵琶湖の水を引きいれた水城だった。
ルイス・フロイスの「日本史」には安土城に次ぐ華麗な名城と記載されており、大天守と小天守を連立した豪壮な城だったと考えられている。
現在はほとんど住宅地化しており遺構はほとんど見当たらないが、琵琶湖の渇水時には湖の中に眠る石垣が発見された。
JR新大阪駅正面口(南口)
1F大型バス駐車場
7:40集合 8:00出発
JR京都駅八条口
アバンティ前
8:40集合 9:00出発
11日前まで | 無料 |
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10日~8日前 | 20% |
7日~2日前 | 30% |
出発日の前日 | 40% |
出発日の当日 | 50% |
出発後の解除 または無連絡不参加 | 100% |