~長政の裏切りはまあに青天の霹靂~
旅行代金(大人おひとり様) | 14,800円 | |
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催行日 | 2015年 11/25(月) | |
コースコード | HS-0001-03 |
信長と室町幕府15代将軍の足利義昭を利用し、信長が将軍の名目で各地の大名に上洛の命を出すが、この命を無視したのが越前の朝倉義景であった。朝倉氏とは、織田氏と浅井氏が同盟を結ぶより以前から浅井氏と強い同盟関係で結ばれており、織田氏とは元々不仲だった。
朝倉氏討伐のために越前の金ヶ崎に進軍する信長だが、ここで深く信頼していた長政のまさかの裏切りで北から朝倉、南からは浅井という挟み討ちの状態に陥る。命からがら京に逃げ帰った信長はすぐに反撃の準備を始め、浅井氏は本拠地である小谷城周辺の支城を強化し(図2)信長との戦いに備え、これより信長対浅井・朝倉連合軍との戦いがはじまった。(図1)姉川の地で決戦となり信長はなんとか勝利するが、浅井・朝倉連合軍に致命的な打撃を与えることはできなかった。
日次 | スケジュール | 食事 |
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1日目 |
新大阪(7:30発)・京都(8:30発)
※その他の発地(名古屋・姫路・岡山・岐阜)も選べます。
苅安尾城
昼食
京極氏館跡
姉川古戦場
京都駅周辺(18:30)・大阪駅周辺(19:30頃着)
※その他の着地(名古屋・姫路・岡山・岐阜)も選べます。 |
朝食× 昼食〇 夕食:× |
特別見学上平寺区所蔵文書「京極氏奉公人連署奉書」「羽柴秀吉文書」
対信長戦のため改修された北近江・浅井氏の支城
カリヤスオジョウ
山の麓に京極氏の館が建てられた際に築かれた城であったが、家臣団のクーデターがおこり京極氏に変わり北近江を支配した浅井氏の支城となる。浅井長政が対信長戦、つまり姉川の戦いに備えて、同じく伊吹山の尾根筋にある長比城とともに城を改修し強化している記録が「信長公記」残されている。
城を守備していた堀秀村と、秀村に代わり堀家を取り仕切っていた家老の樋口直房が信長と内応したことにより戦わずに苅安尾城・長比城とも開城した。
伊吹山麓に建てられた京極氏の城館跡
キョウゴクシヤカタアト
伊吹山の南山麓の上平寺地区に位置し、浅井氏以前に北近江を支配していた近江守護・佐々木一族からの京極氏の城館をはじめとする遺跡群である。
北近江の政治や文化の拠点として機能していましたが浅井氏など家臣団によるクーデターがおこり館は焼失し、京極氏も衰退していった。
当主の居館跡は60m×40mと大規模なもので、それに庭園も伴っており2ヶ所の池と巨石を配する庭園跡が残っており戦国大名のあり方を知る上で貴重な文化財となっており国の史跡に指定されている。
織田・徳川と浅井・朝倉の両軍が衝突した
アネガワコセンジョウ
織田・徳川連合軍約2万8千人と浅井・朝倉連合軍約1万8千人が姉川を挟んで布陣し、激突した場所である。
最初、織田軍が13段構えの陣の11段まで崩されるなど浅井・朝倉軍が優勢であったが徳川軍の側面攻撃が見事に成功し、朝倉軍が壊滅。これにより浅井軍は崩れはじめたところを織田軍が攻撃、浅井・朝倉軍は敗走し、浅井長政は本城の小谷城へ籠城すこととなった。
この戦いで両軍多くの戦死者・負傷者を出し姉川は血で真っ赤に染まったといわれている。
JR新大阪駅正面口(南口)
1F大型バス駐車場
7:40集合 8:00出発
JR京都駅八条口
アバンティ前
8:40集合 9:00出発
11日前まで | 無料 |
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10日~8日前 | 20% |
7日~2日前 | 30% |
出発日の前日 | 40% |
出発日の当日 | 50% |
出発後の解除 または無連絡不参加 | 100% |