~上洛の行く手を阻んだ六角氏に勝利!~
旅行代金(大人おひとり様) | 14,800円 | |
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催行日 | 2015年 10/12(月) | |
コースコード | HS-0001-02 |
上洛を開始し、南下していく信長の前に最初に立ちはだかったのは、南近江の雄・六角氏であった。六角氏とは源氏佐々木家の本家筋であり、南近江を支配していた戦国大名である。浅井氏とも近江の覇権争いで対立しており、本拠地である観音寺城は当の六角氏の権力を誇示するような大規模な山城で、周辺には多くの支城をもっていた。
六角義賢・義治父子の代では、信長が上洛に協力する要請を出したが六角氏は拒否したため、信長は軍を率い六角氏の支城を攻め一晩で城を落とした。城の落ちる早さに驚いた六角氏は本城である観音寺城を捨てて逃げ、観音寺城は無血開城。甲賀へ落ち延びた六角氏は後に再度信長に抵抗するのだった。
六角氏打倒の知らせを受けた足利義昭は岐阜より出陣し近江で信長と合流、上洛を果たし(上図)室町幕府15代将軍の座に就いた。
日次 | スケジュール | 食事 |
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1日目 |
新大阪(8:00発)・京都(9:00発)
※その他の発地(名古屋・姫路・岡山・岐阜)も選べます。
桑実寺 特別拝観「桑実寺縁起絵巻模本」
観音寺城
昼食
観音正寺 特別拝観「総白壇千手千眼観世音菩薩(本尊) 」
京都駅周辺(18:30)・大阪駅周辺(19:30頃着)
※その他の着地(名古屋・姫路・岡山・岐阜)も選べます。 |
朝食× 昼食〇 夕食:× |
貴重な文化財が残る信長ゆかりの寺院
クワノミデラ
天智天皇の勅願により白鳳年間に創建されたものといわれており、観音寺城のある繖山の麓にある桑実寺。南北朝時代の本堂や日本美術史上価値のある桑実寺縁起絵巻が国の重要文化財に指定されており、しばらくの間荒廃していたが安土を本拠地とした信長によって保護された。
上洛の際には六角氏を観音寺城から追いやった信長と足利義昭が合流したのがここ桑実寺といわれており、義昭の父・義晴が室町時代の仮幕府を置いた場所でもある。
また信長の留守中に、無断で桑実寺へ参詣した安土城の侍女と桑実寺の僧が激怒した信長に殺されるといった事件も起きている。
南近江・六角氏の本城で大規模な中世山城
カンノンジジョウ
繖山に築かれた南近江に勢力をもつ六角氏の本城で中世を代表する大規模な山城。安土城築城以前の中世城郭で総石垣造りのものはめずらしく、近代城郭の先駆けとなった信長の安土城も観音寺城を手本にしたとも言われている。
城内には1,000近くの曲輪があり石垣や、虎口など見どころが多く残る
信長が上洛する際に、協力の要請を拒否した六角氏と対立し観音寺城の周りにある支城が攻められた。支城は一晩で落城し、観音寺城は無血開城され六角氏は甲賀の方へと逃げていったといわれている。
西国三十二番札所の寺院
カンノンショウジ
観音寺城がある繖山の山頂近くに位置する天台系の仏教寺院で、西国三十二番札所である。推古天皇の時代に近江国を訪れた聖徳太子が出会った人魚の懇願により創建したと伝わっている。六角氏の庇護を得て栄えるが、信長に観音寺城が攻められた数年後に六角氏ゆかりの寺であったため焼き討ちにあい全焼する。
慶長年間に再興されたが平成5年の火災により本堂、本尊である千手観音立像も焼失した。現在の本堂は、平成16年に再建されたもので本尊も新しく造立された。
JR新大阪駅正面口(南口)
1F大型バス駐車場
7:40集合 8:00出発
JR京都駅八条口
アバンティ前
8:40集合 9:00出発
11日前まで | 無料 |
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10日~8日前 | 20% |
7日~2日前 | 30% |
出発日の前日 | 40% |
出発日の当日 | 50% |
出発後の解除 または無連絡不参加 | 100% |