~天下統一への重要なカギを握った浅井長政~
旅行代金(大人おひとり様) | 14,800円 | |
---|---|---|
催行日 | 2015年 9/7(月) | |
コースコード | HS-0001-01 |
群雄割拠の戦国時代、尾張国の織田信秀の三男として生まれた織田信長は、弟・信行との家督争いに勝ち織田家当主となった。尾張統一をはたした信長は、越前の朝倉氏の元へ身を寄せていた足利義昭と出会う。義昭を奉じ室町幕府将軍の座に就かせるために上洛を開始し、また隣国である美濃の斎藤氏牽制強化のために北近江を支配していた浅井長政へと近づいた。
京極氏の家臣であった浅井家は長政の祖父にあたる亮政の下剋上(図1)により戦国大名化を推し進めた。亮政の没後、跡を継いだ久政は六角氏に圧され従属する事になる。浅井家の家臣は久政に不満を抱き、長政を擁してクーデターを起こした。長政は野良田合戦で六角氏に勝利すると北近江を支配した。(図2)
信長は妹であるお市を長政のもとへ嫁がせ、浅井氏と同盟を結び天下統一への第一歩へと駒を進めた。
日次 | スケジュール | 食事 |
---|---|---|
1日目 |
新大阪(8:00発)・京都(9:00発)
※その他の発地(名古屋・姫路・岡山・岐阜)も選べます。
成菩提院
昼食
清凉寺 特別拝観「彦根藩主井伊家墓所」
佐和山城
京都駅周辺(18:30)・大阪駅周辺(19:30頃着)
※その他の着地(名古屋・姫路・岡山・岐阜)も選べます。 |
朝食× 昼食〇 夕食:× |
信長や秀吉などの武将が宿泊した記録の残る古刹
ジョウボダイイン
日本天台宗の開祖・最澄が談義所を建てたのが始まりといわれ後に延暦寺の別院の一つとなった古刹です。歴代住職には徳川家康の側近・天海をはじめとした名だたる名僧を輩出しています。
戦国時代には数々の武将が宿泊した記録が残っており、信長は浅井長政との会見の際に宿泊しその後も上洛の際に宿泊しており、また小田原征伐の際には豊臣秀吉、関ヶ原の戦い前には小早川秀秋も宿所として利用しています。
数多くの文化財が残されており、本尊の十一面観音や絹本著色浄土曼茶羅図、同聖徳太子像などが国の重要文化財に指定されています。
佐和山城の麓にある彦根藩主井伊家の菩提寺
セイリョウジ
徳川四天王の一人である井伊直政は関ヶ原の戦い後に彦根に封ぜられ佐和山城に入城、彦根藩初代藩主となりました。直政が死去すると石田三成の重臣・島左近の屋敷跡に墓所として創建され井伊家代々の菩提寺となりました。
徳川の重臣であったがため、歴代の住職に諸国より高僧を招き全国有数の修行道場として知られていきます。
本尊は釈迦牟尼仏、本堂は宝永5年(1708年)の再建であり、境内にあるタブの木は左近がこの地に住んでいた頃からのものと言われています。
古くは浅井氏の支城であり石田三成の城として知られる
サワヤマジョウ
鎌倉時代に築かれた砦が佐和山城のはじまりといわれ、戦国時代に入ると六角氏の城から湖北より勢力を伸ばしていた浅井氏の勢力下へ。
信長と浅井長政が同盟を組んでから2人が初めて対面を果たした場所が佐和山城だったといわれています。姉川の戦い後には浅井方の磯野員昌が籠城し信長に攻められ降伏、以降佐和山城は織田方の城へと転じました。
本能寺の変後、豊臣方の城となった後に石田三成が入城し、城の改修や城下町の整備を行ったが関ヶ原の戦いで敗れ落城。その後は井伊直政が入城するが彦根城を築城し佐和山城は廃城となりました。
JR新大阪駅正面口(南口)
1F大型バス駐車場
7:40集合 8:00出発
JR京都駅八条口
アバンティ前
8:40集合 9:00出発
11日前まで | 無料 |
---|---|
10日~8日前 | 20% |
7日~2日前 | 30% |
出発日の前日 | 40% |
出発日の当日 | 50% |
出発後の解除 または無連絡不参加 | 100% |